2007年12月30日

いつかマリリン・モンローのように~~~~




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★「いつかマリリン・モンローのように死ぬ」アンナ・ニコル・スミス Anna Nicole Smith

米国の著名な元モデルで女優のアンナ・ニコル・スミスさんが8日、フロリダ州南部のホテルで急死した。39歳だった。亡夫の莫大(ばくだい)な遺産をめぐる裁判、豊胸手術公言など、公私にわたり芸能誌を騒がせ続けてきただけに、米メディアは大きく報じている。

 スミスさんはこの日昼すぎ、ホテルの自室で倒れているのが見つかり、病院に搬送された後、死亡が確認された。死因は不明。
 ストリッパー出身のスミスさんは男性誌プレイボーイの表紙を飾ったほか、複数の映画にも出演した。1994年に当時89歳だった石油王ハワード・マーシャル氏と結婚したが、翌年死別。推定4億ドル(約480億円)を超える遺産相続をめぐり義理の息子と対立し、現在も裁判が続いている。昨年9月には、前夫との間に生まれた長男ダニエルさん(20)がバハマで変死し、話題を集めた。

 スミスさんは62年にハリウッドで怪死した大女優マリリン・モンローの再来ともいわれた。元マネジャーは「彼女自身もモンローのファンで、モンローをまねて薬をシャンパンで飲んでいた」と話した。日本では米ブランド「Guess」の専属モデルとして有名だった。  【時事通信】


アンナ・ニコル・スミス(Anna Nicole Smith、1967年11月28日 - 2007年2月8日)は、アメリカ合衆国の月刊誌『PLAYBOY』の元プレイメイトでモデル、女優。アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身。正式名はヴィッキー・リン・ホーガン (Vickie Lynn Hogan) 、2度目の結婚後の正式名はヴィッキー・リン・マーシャル (Vickie Lynn Marshall)。なお日本では Anna Nicole を「アンナ・ニコル」と表記

来歴
ドナルド・ユージーン・ホーガン(Donald Eugene Hogan、 1947年7月12日生まれ)とヴァージー・メイ・テイバース(Virgie Mae Tabers、1951年7月12日生まれ)の一人娘ヴィッキー・リン・ホーガンとして1967年11月28日ヒューストンで生まれた。 [1] 父ドナルドが妻とヴィッキーを置いて家を出たため、両親は1969年11月4日に離婚し、ヴィッキーは母と母方の叔母エレイン・テイバース(Elaine Tabers)によって育てられた。母ヴァージー・テイバースは1971年にドナルド・R・ハート(Donald R. Hart)、1987年にジョー・D・トンプソン(Joe D. Thompson)、1996年にジェームズ・T ・サンダース(James T. Sanders)、2000年にジェームズ・H・アーサー(James H. Arthur)と再婚し、現在はアーサー姓を名乗っている。[2]母がドナルド・R・ハートと再婚してから、ヴィッキー・ホーガンはニッキ・ハート(Nikki Hart)と名乗るようになった。 [3]ヴィッキーには異母妹ダナ・ホーガン(Donna Hogan)とエイミー・ホーガン(Amy Hogan)、[4] 異母兄デイヴィッド・L・タッカー・Jr.(David L. Tacker, Jr.)、異母弟ドナルド・R・ハート・Jr.(Donald R. Hart, Jr.)とドナルド・R・ホーガン(Donald R. Hogan)がいる。 [5]
ヴィッキーはヒューストンのダーキー小学校(Durkee Elementary School)とオルディーン中学校(Aldine Intermediate School)を卒業し、9年生(米国の高校一年生、日本の中学3年生にあたる)の時に母の妹にあたる叔母ケイ・ビール(Kay Beall)と暮らすためにヒューストンからテキサス州メヘイア(Mexia)に移った。 [6]メヘイアではメヘイア高等学校(Mexia High School)に通ったが、高校1年生の時に落第し2年生の時に退学したため、義務教育は8年生までしか終了していない。[7] メヘイアのレストラン、ジムズ・クリスピー・フライド・チキン(Jim’s Crispy Fried Chicken)でウェイトレスとして働いていたときに調理師として働いていた16歳のビリー・ウェイン・スミスと知り合い、1985年4月4日に結婚した。[8] 翌年長男ダニエル・ウェイン・スミス(Daniel Wayne Smith)を出産したが1987年に別れ、1歳のダニエルを連れてヒューストンに戻った。ヒューストンのナイトクラブでストリッパーとして働き始める前はウォルマートで働き、次にレッドロブスターでウェイトレスをしていた。
プレイボーイ創始者のヒュー・ヘフナーに見出され1992年3月にプレイボーイ誌の表紙を飾り、「マリリン・モンローの再来」とデビューを飾った。翌年には「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、アメリカのゲス・ジーンズ(Guess)などの広告にも登場、パリの有名デザイナーのショーやモデルとして一世を風靡した。なおアナは、これまでにプレイメイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれたプレイメイトの中で身長体重ともに最大のプレイメイトである。
1991年10月ヒューストンのナイトクラブ「ジジズ」(Gigi's)でストリッパーとして働いていた店に客として出入りしていた、テキサスの石油大富豪、J・ハワード・マーシャル (J. Howard Marshall) と出会い、63歳年上の大富豪との結婚に世間を騒がせた。1994年6月27日に結婚し、翌1995年8月4日にJ・ハワード・マーシャルが死去。当時、アナが夫の葬儀にウィエディングドレスを着て参列したと、これもまたマスコミ各誌の話題となり世間を賑わせた。 夫の残した莫大な遺産をめぐっては、28歳年上の義理の息子E・ピアース・マーシャル(E. Pierce Marshall)を相手取り裁判を起こし、E・ピアース・マーシャルは2006年6月20日に病死したが、裁判は現在も係争中である。しかしその間に遺言書が見つかり、遺言書にはすでに亡くなった息子へ遺産を相続すると明記されていた。
2006年9月7日、バハマの首都ナッソーで長女Dannielynn を出産。9月26日にラリー・キングとのインタビューでアナの弁護士として長く働いてきたハワード・K・スターン (Howard K. Stern) が父親であると名乗り出た。しかし芸能ジャーナリストのラリー・バークヘッド (Larry Birkhead) とザ・ザ・ガボールの夫フレデリック・プリンツ・フォン・アンハルト(Frédéric Prinz von Anhalt)もまた自分が父親であると次々と主張し、最終的には、誰が本当の父親であるかを確認する為のDNA鑑定にまで及んだ。
アナとハワード・K・スターンは9月29日ナッソーで結婚の誓いを交わしたが、未だ結婚証明書を作成していないために法的には二人の結婚は成立していなかった。
同年9月10日、ナッソーに母と妹を見舞っていた息子ダニエルが急死。死因は抗鬱剤のゾーロフトとレキサプロ (Lexapro®) 及び鎮痛薬のメタドンの内服とこれらによると推定される薬剤性不整脈が原因と推定されている。ダニエルは失恋で軽い鬱病状態にあり、医師を受診していた。

謎の死
2007年2月8日、アナはフロリダのホテルの部屋で倒れているところを発見され、病院で死亡が確認された。39歳だった。息子の謎の死に続いたかたちだったゴシップ誌の格好の的となり、彼女の死をメディアも速報で伝えた。フロリダでは地元警察が記者会見を行い、「彼女に同行していた施設の看護師が倒れているのを発見し、午後1時45分ごろに通報を受けた。ボディガードが蘇生処置をし、病院に緊急搬送した。病院は午後2時49分に死亡を確認した」と発表した。この事について、「なぜ、蘇生処置を看護師ではなく、ボディガードが行い、本来ならば蘇生処置を行わなければならない看護師がフロントに連絡しにいったのか」とメディアは早速、疑問点をあげた。
彼女がどの時点で死亡したのかに関して、今のところ正式な発表はないものの、CNNではホテルの部屋で既に死亡していたのではないかと伝えている。ホテルには、救急車の他に消防車なども到着し、多くの警察官もかけつけ、病院に着いた時には彼女は既にシーツで覆いかぶされていたと目撃者は語っている。
伝えられるところによれば、彼女は前夜、具合が悪く、微熱があったという。
なお遺言状で全財産が譲渡されるはずだった息子がすでに死去しており、生後間もない娘の父親に三人の男性が名乗りを上げていることから、推定15億ドルともいわれる遺産をめぐっては混沌とした状態にある。遺言状は2001年7月30日に作成されて以来更新されておらず[9]、現状では長女Dannielynnに遺産の相続権がないが、アナの母ヴァージー・アーサー(Virgie Arthur)は遺言状が無効であるとして争う構えを見せている。 2007年4月10日に、バハマの法廷は、DNAテストを元にラリー・バークヘッドがアンナの長女Dannielynnの実の父親である事を証明、発表した。
[10]

人物
体重の変動も激しく、一時期激太りしていたがダイエットに成功して元通りの姿に戻ったり、豊胸手術を受けていたことを暴露したりと私生活の面でゴシップ誌の格好の的となっている。
「マリリン・モンローの再来」といわれた程の美貌の持ち主であるが、一時、激太りした。その後ダイエットサプリメントのCMに登場し、このおかげで痩せたとPRしていたが、サプリメントを販売した企業と彼女は虚偽の広告をしていると150万ドル(1億8千万円)の損害賠償を求め訴えられたと2007年2月6日に伝えられた。
出演作品(映画)
未来は今The Hudsucker Proxy(1994年)
裸の銃を持つ男 Part 33 1/3 最後の侮辱 The Naked Gun 33: The Final Insult(1994年)
ジャッジ・ブロンド To the Limit(1995年)
デンジャーゾーン/摩天楼からの脱出 Skyscraper(1997年)
Wasabi Tuna(2003年)
Be Cool/ビー・クール Be Cool(2005年、カメオ出演)
Illegal Aliens(2006年)
参考文献
1. ^ Ancestry of Anna Nicole Smith Retrieved on 2007-02-14
2. ^ Ancestry.com. Texas Divorce Index, 1968-2002 [database on-line]. Provo, Utah, U.S.: The Generations Network, Inc., 2005.
3. ^ “High school remembers Anna Nicole barely”, Reuters, 2007-02-09. 2007-02-14閲覧.
4. ^ “Entry for Anna Nicole Smith at the Notable Names Database”. 2007-02-14閲覧.
5. ^ Ancestry.com. Texas Birth Index, 1903-1997 [database on-line]. Provo, Utah, U.S.: The Generations Network, Inc., 2005.
6. ^ Eric Redding and D'Eva Redding, Great Big Beautiful Doll: The Anna Nicole Smith Story, New York: Barricade Books, 1996, p. 13.
7. ^ In re Marshall, 275 B.R. 5, 20 (C.D. Cal. 2002). Ed Stoddard and Jessica Rinaldi, ibid.
8. ^ Ancestry.com. Texas Marriage Collection, 1814-1909 and 1966-2002 [database on-line]. Provo, UT, USA: The Generations Network, Inc., 2005.
9. ^ Candiotti, Susan, “Anna Nicole Smith's will leaves everything to dead son”, CNN, 2007-02-16. 2007-02-16閲覧.
10. ^ “Smith left her estate to dead son”, BBC News, 2007-02-17. 2007-02-17閲覧.

公式サイト(英語)
http://www.annanicole.com/index_new.html


posted by dreamer at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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